4タイプその4

 

それでは信仰系について書いていきます。

 

ここは「その1」で書いたように、第一の目的は[お参り(願掛け・心の救い)をするため]が第一目標です。

 

そもそもバスや車でやっていた方も多いのでそこに[歩く]と言うルールを付けます。


ここが一番歩くことにこだわりがあるのかな?とも思います。よく考えてみたらそうですよね。

 

バスや車で何回もすでに廻ってます。

ラクして廻るのには飽きたのか、歩いて廻らないとなかなか[願掛け]がかなわないと思ったのか、それは彼ら一人一人の心の中でしょうが、歩くことへのこだわりはあります。

 

歩き遍路=苦行をするってなっている人もいます。

 

彼らの「歩き遍路」に対する先入観は「遍路は修行」で、生死を分ける程のすごいものって部分があるので、ラクして廻ろうと言う感覚がそもそもない部分もあります。

 

なので、道具に頼ることもしなかったりします。ジーンズや綿のシャツ、道具に対して考えていなかったりする訳です。

 

周りから見たら、準備も整えずに来て

[ただ一所懸命歩くこと]

[お祈り・お参りすること]

が第一の目標で信仰心が強ければ強いほど第二、第三が見えなく視野が狭まっている人が多い部分が否めません。

 

余談ですがそもそもの[檀家制度]が理解できていない方も多くいるんではないでしょうか?
参照>[檀家制度]

 

この方たちが遍路に廻ると[一所懸命歩くこと](あくまで本人のペース内なので、本人が一所懸命と思っているペースです)なので、装備、道具に頼ると言う考え方が抜け落ちている部分があります。また努力の方向性がズレている人が多くいます。

参照>[努力すると言うこと]

 

なので、現に本人は大変苦労して廻っているはずです。装備が十分でなければ、苦労するのは当たり前です。


ただ、ただ一所懸命歩くので、歩き方、補給の仕方、水すら我慢する事が彼らにとって[修行であり・苦行であり、それを乗り越えて願掛けが成就する、私にはお大師様がついている。ザ・同行二人]と思ってますので、[熱中症とかでパタッと倒れます]そこに[見かねた]地元の人が「(またかーしょうがないなーほんとにめんどくさいんだけど、見て見ぬ振りするのも自分の良心の呵責もあるし、、、)大丈夫ですか?お遍路さん」ってなるわけで、そこに助けてもらったお遍路は「お大師様が助けて下さったーザ・同行二人!」ってなるわけです。いやいや、、、もう一度言います。

 

お大師さまでもなければ、なんの疑いもない[見かねた][地元住民]です。
ちょっとは地元住民の立場になって考えてあげて下さい。
参照>[地元住民の立場]

 

なので道具があることすら知らない人が多く、その多くが遍路中にチャレンジ系の装備を見て[こんな物があるんだ!良さそうだなぁ!]とチャレンジ系にある[予想>準備>計画>検証>問題点の抽出>・・・]っていう考え方のそもそもが無い人も少なからずいますので、この装備がよさそうと言う部分だけで、話が進みます。

 

[考えると言うこと][わかったって言うこと]をもう少し良く理解していただけると、もっともっと道具の力を発揮できてラクに廻ることが出来ます。

 

 

ただ、本当に彼らは歩くことが最大で唯一の努力なので、情報すら集めようともしません。

 


お四国ゲストハウスのアドバイザーのシッタカブッダの迷言にあるますが、まさにこれです。

 

「本当に伝えたい真意は、伝えようとしている人にこそ伝わらない」

 

 

ここで、よく心理状況を考えてもらえばわかって頂けると思いますが、この人たちがネットや出版物で情報を出します。

 


すべては本人の思いこみから来るお大師様のお導きの元出していきます。おそらくこんな心理状態ではないでしょうか?

 

廻ってみて、自分自身の新しい価値観からの考えが発見できたり、歩くことによって、確かにキツい思いしたので修行した気分になったわけで、そこではチャレンジ系がすばらしい道具持ってって「みんな知らないと思うから、私が教えよう!」ってな状態では?と思ってみます。信仰系の集団の中では歩き遍路をすると「歩き遍路すごいね」って言われて気持ちよくなってる人もいたり、歩いていると信仰熱心な方から拝まれたりします。

 

 

道具に関しても勘違いの情報と言うか、あってるのか、、、どうフォローしたら「この場面では確かにこの道具は使えるけど、、、その場面どの割合で来るんだ?」って山道具知ってる人や理論的にどう考えても、、、って答えが堂々と出版されていたりネット上に上がっていたりするようになるわけです。

道具なんかはすべて[x軸とy軸]ですよね?

雨の日以外の雨具は重りでしかないって言えばわかってもらえるかと思います。

 

お四国ゲストハウスのアドバイザーのお山の大将は道具マニアなので、かなりの山道具知識がありますが、彼は言います。「まずは、本当に必要かどうか?持って快適になるのか?我慢して軽量化するのか?根本的な所からもう一度考えた方がいいんだな]

 

参照>[道具を持つと言うこと]

 

彼がいつも言うのは、四国の歩き遍路であれば、季節と自分の廻り方など基本的な情報によって大きく答えが変わると言います。


彼が言いたいことは、当たり前のことをもっと理解度を深めて考えていかないと答えがブレていくと言うことを言葉を換えながら何度も言っています。

 

極端な信仰系の例かと思うかも知れませんがそこはお遍路業界、結構いたりします。

 

ただ、前にも書きましたように、少しずつみんなが持っている精神状態だったり、バテて倒れて本当に困ってしまってそうなってしまった部分もあります。

 

ただ、最初に書いたように、十分な努力、方向性の大きく間違っていない努力さえしていけば、ほとんどが防げるものだったりします。

 

すべては自己責任の上、自立して歩けるように、私たちはすべての情報をヒントとして開示していきます。

 

何となくわかっていただけましたでしょうか?

精神状態と、表に出ている情報のズレる原因について、またテレビや本は良い事しか言いません

 

当たり前ですね。当たり障りの無いように編集していったらそうなります。


その情報によってしわ寄せが来ているのが、地元住民だったりします。

 

私たちが遍路を使って楽しませて頂いているのは、すべてお寺を維持していただいている檀家さん=地元住民の方達の協力があって歩かせて頂いています。

 

現状「あまりにも遍路目線でしか物事をとらえてない」情報があふれています。

 

それによって困っている地元住民の立場でも考えて頂けるきっかけなれればうれしく思います。

 


よく、出版物やネットを見ていただければわかると思いますが、彼らの意見の語尾には「~である」「~すべきだ」と言うような個人の所感からの断定話法がほとんどで、ケースバイケースの物の選び方などは、あっても根本の理論が無い部分と視野が狭い部分から「私はこうした」「私の場合~」ってあんたどんなけ分かったのん?理解は理解度です。

 

参照>[わかった!って言うこと]

 

知っている人からすると「何で?もっと良い道具もあるし、やり方もあるし、その状況ならこうがラクじゃないかな?そもそもその状況になるようになんでなるの?理論的に、、、どうフォローしたら彼らを否定せずにすむのかな、、、否定的な事言いたくないんだけど、、、」

 

(例えば靴は大きめがいいって言ってる人いますが、どこの世界に大きめの靴履いてるスポーツ選手いますか?って話です。大きめの靴は靴ずれの原因です。それを言い出したのを推測するとしたら、マメや靴ずれで痛いところにゆったりした靴を履いたら、靴を履くのが楽だったって部分かな?と思いますが、履きやすい靴と歩きやすい靴って一緒ですか?そもそも靴ずれ出来るってのが靴が合ってないよね、もっと靴のこと知ろう、靴ずれ、マメのメカニズム知ろうよって部分です)

 

ってなることがよくありますので、その辺をよく見ていただけると良いかと思いますし、こちらでもいつも言ってますが、x軸とy軸の方程式のようなものと言う前提で、気が付くきっかけ、ヒントと言うスタンスなので、ここの情報すら鵜呑みにしないでください。ここからヒントが得れたら私たちは幸せですってスタンスです。読み手にも注意が必要ですね。

答えは常に変わりゆくものです。

明日、画期的な靴や衣類が発売されるかもしれません。

そんな時は、店長もお山の大将も、お四国ゲストハウスメンバーズも前の日言ってたこと180度覆して、買いに行って使っていると思います。

答えなんてそんなもんです(笑)


根本的な考え方の違いは

「あまりにもあまりにも遍路目線過ぎ」
気が付いて欲しいのは

[広い視野と柔軟な発想]

[地元や周りの協力があっての遍路が出来る]のです。

 

すべては

[すべての遍路関係者の為に、四国の為に、そしてこれを美しい姿のまま残していく為に]

 

ちなみに、この4タイプはなろうとしてなるものではありません。

個人の性格です。

何度も言いますが、常に移り変わるもので、心のバロメーターが信仰○%観光○%チャレンジ○%っていつも動いてます。

これを理解していろんな人の話聞くと面白いですよ(笑)

 

 

まとめ

「お参りや願掛けに来ている信仰系の精神状態を考えてみよう」

 



文章 店長さん・シッタカブッダ・お山の大将と愉快な仲間たち

 

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