考えると言うこと


考えると言うことは、いろんな可能性を考えて行ったりするわけで、非常に難しい表現になりますが、いろんな人の立場、いろんな方面から多角的に考えて行くわけで、そこは白人、黒人、アジア人、ヒスパニック、男性、女性、子供から年寄り、数えたらきりがない多様性にとんだ考え方があるわけです。

 

もちろん、一人として知識や経験が同じ者はいません。そこには数えられない価値観が存在しているわけです。

 

参照>[わかった!と言うこと]

 

その中で考えていくことと言うのは、まず大切な事が、自分自身で理屈をこねない事です。そこには自分の意見の正当化していく屁理屈を一所懸命考え出すからです。

 

前提として大切なことは、お互いの[自由]を認め合い[尊重]し合うことから始めた方がよりあなた自身が、あなたの考えが世の中に認められるのではないのかな?と思います。

 

さて、考えると言うことですが、難しいのですが、こう表現してみます。
考えると言うことは、無限に洗練させていく事で、例えるなら、蚊取り線香のような渦巻き上で、それが外から内へ中心を目指して、木ねじの様に一点を目指しているのか?

 

その逆で、中心からどんどん広がりを得て考えを洗練させていくのか?
そこはケースバイケースだったり、、、

 

そもそも、それも考えているって言う自分自身のおごりの心で、広がりも一点を目指すのでもなく、ボルト状にずっと平行線上に進んでいって、下手な考え休むに似たり、「自分は考えてるんだ」って言い訳の元に言葉遊びをしてるだけだったりする訳です。

 


ちょっと卑屈な考え方も含めて、ただ、考えることを止めてしまうと[分かった!つもり聖人]になってしまいます。

参照>[分かってっていうこと]

 

そして、考えて行くには学んでいかなければなりません。知識や経験から学びより考えると言うことに対して理解度を深めて行くことが重要です。

 

今回の格言

[学ぶと言うことは、自分がいかに無知であるのかを学ぶことかも知れない]

 

文章・シッタカブッダ