お接待について
マスコミの発する情報は恐ろしく影響力があり、また側面を切り取って綺麗な番組を作ってある部分で、四国はお接待と呼ばれる遍路に対して物や食事や金銭が当たり前に頂けると言うようなイメージを持っている方が少なくないので、はじめに結論を書きます。
お接待あります。一日ジュース1本分くらい。
ええ、そんなもんです。
「えーそんなものなの?」って思った方、来てほしくないです。
そう思うのを掘り下げて考えると「貰えて当たり前だ」って思ってる部分がありますよね?
お接待あてにしてますよね?
乞食の始まりです。
ただの四国のイメージとしてのズレの感想だとしたら別に良いのですが、、、
よく考えたら良いと思うのですが、他の地域で歩いていて、物が貰えることが奇跡では無いでしょうか?
無くは無いでしょうが、本当に奇跡だと思います。
その辺の奇跡が当たり前になってはいけないと言う部分で、よく考えて頂きたい訳です。
そもそも、四国以外では歩いているだけで白い目で見られないでしょうか?
歩いて特殊な形で旅をさせて頂けるだけで感謝すべきでは無いでしょうか?
あまりにも物質にとらわれすぎて、その中にあるそのお接待をしていただいた方の心を軽視しているからそのような感覚になって行くのでは無いのかと考えます。
よく考えてほしいのです。四国の経済は4県あわせても400万人しかいません。東京23区の5分の1以下です。
最低賃金もよく見てください。
経済が小さいと言うことは同じ100円の価値が四国と都市部では違うと言うことです。
そのお接待をしていただいたおばあちゃんの年金は、、、少ない中からお接待をされている人も少なくありません。
物質的な部分にとらわれることなく、その気持ちを考えて頂きたい物です。
また、世の中はギブアンドテイクで、タダの物は一つもありません。
頂いたお接待に関してはそのみなさんの感謝の気持ちで良いので精一杯返して頂きたいと願っています。
お接待は物質でのサポートだったりしますが、本来は気持ちのサポートでその気持ちを持って私たちもお接待をしていただいた方にお答えすると言う物ではないでしょうか?
人の気持ちを奪うような、乞食には成り下がって頂きたく無いものです。
厳しいことを言うようですが、お接待をされた方からの報告で、善意にのっかり物乞いをされたり、金品を要求されたり、怖い思い、嫌な思いをされたいる報告は実はしょっちゅう聞くのが現状です。
また、こんな苦情もあります。
おそらく本人は何かとても深い考えがありやっているのかもしれません。
ある遍路がお接待を受けて、
例えば、角のお茶屋さんからお接待でお茶をもらったと言うことを
「角のお茶屋さんでお接待もらいありがたかったです。」ってご丁寧に写真付きでmixi、Twitter、Facebook、ブログなどなども含め公開します。
どうなるか想像できますか?
よーくよーく、、、いや、、、何か深い考えがあるんでしょう。情報の公開とは責任があるわけですから、、、、
でも、現状では、乞食を呼び寄せる手助けになっています。
この場合、角のお茶屋さんの立場で考えたら、公開されたら公になるってことで全ての人にお接待しないといけなくなります。
「いいじゃん気が向いた時だけやれば」と思ったアナタ、そこはお接待をされている方との精神構造が違います。
彼らは良い人なんです。
不平等にやることに対して罪悪感を感じてしまいます。
心を削ってやっている人もたくさんいます。
あなたがやる立場で考えてください。
例えお茶一杯でも気が向いた時だけ用意するのと毎日用意するのでは負担が大きく違ってきませんか?
そして、気持ちでお接待しているのに対して、公にされて常にやらないといけないような状態にされ、物乞いをしに来るような遍路を呼び寄せているのが、現状のネットなどでの情報公開です。
コレは仮の角のお茶屋さんで言いましたが全く同じ事例での苦情は年間何十件も戻ってくる遍路さんから、直接ご本人から聞いています。
どのような深い理由があるのかも知れませんが、現状そうなった部分に関しては、情報発信者は今後どう対処されるのかを見守りたいです。
もちろん中には商売のPRとしてのお接待も数多くあるのは現状ですが、、、
上記の場合は結果的にお接待をした人の心を削らせている状態になっていませんか?
乞食にはこう聞こえます
「あそこにいい人いるからタカリに行けよ」
こんな言い訳するかもしれません。
「それは乞食が勝手にそう受け取って、私は自分の気持ちを・・・以下略」
結果的になっている事実があるんです。
それは論点のすり替えです。言い訳です。
視野の狭さです。
世の中の考えは多様性にとんでいます。いろんな考え方があって全てと共存しているのが世の中で自分の感覚で物事を図った結果です。
そんな人は価値観が違うと拒絶するタイプじゃないでしょうか?
拒絶からは何も生まれませんよ。
尊重して受け入れて理解して行く姿勢が必要です。
ここで、一つ大きな視野を持つのかどうかはその人次第ですが、、、
どう考えていくのかは、発信者次第で、情報発信者が如何に周りの気持ちが、冷静に物事を判断している人なのかを
情報発信者が自分の友人に対して自分自身をアピールしているに過ぎません。周りから自分自身の評価につながることですので、そのうちわかると思いますが、、、
若気のいたりでやってしまう部分は誰でもあります。
間違いは誰でもあります。
ただどのように正して、それを糧に今後の遍路に生かしていくのかが大切だと思いますがどうでしょう?
どうか、良い人の心を踏みにじるような行為はやめていただきたいとお願いしています。