遍路道ってなに?
遍路道に強いこだわりがある人がいるようです。
そんな人に言わなくてもいいかもしれない一言。
よく「どの道が正しい遍路道なんだ?」って聞かれるので書いておきます。
遍路道とは、
[お寺とお寺をつなぐ道]です。
以上!
ここで???ってなってる人。
もっと頭柔らかくしてくださーい。
いつも言ってますね。
遍路に圧倒的に足りないもの「広い視野と柔軟な発想」
では、そんな???ってなっている人に質問です。
「あなたが言っている遍路道ってなんですか?」
「1200年前の道?」(ちなみに遍路の88ヶ所のお寺と番号つけられた最古の資料は400年前で、1200年前というのは証明する文献は今のところありませんのであしからず。)
ほとんどないです。
ほとんど昭和・平成の道です。
「空海が歩いた道?」
誰が証明するんですか?(そもそも空海が88のすべてのお寺を歩いて作ったとする文献は出てきてませんが、何か?)
100歩譲って「証明できた」として、その道の後には家がボコボコ建ってますが、どうしますか?
誰も証明出来ないんですよね。
だから、こだわる所じゃないと言うか、こだわれないんですよね。
確かに遍路は自己満足の世界なので、こだわりたい部分はこだわれば良いのですが、自分で作っていくのが遍路道
遍路について言っています。
「人は歩みを止めた時に、そして、挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います。この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる、迷わす行けよ、行けばわかるさ、どんなに慎重になっても、どんなに想像しても、行動についての結果はやってみなければわかりません、でも、結果を恐れて行動しなければ。なにも生まれてきません、行動を起こせば、また新たな選択が生まれてきます。でも、その行動や選択には責任もついてきます。あなたの行動は多くの人にも影響をあたえます。言い訳は一つ一つも通用しません。それでも歩きましょう。人生に逃げ場なし」
アントニオ猪木
って猪木も遍路に出る人にメッセージを送っています。
一言で言えば
「自分の道は自分で決めて自分で歩いて、自分で責任とれよ、そして歩みを止めた時は年老いて死ぬ時だ、だから歩き続けろ」って言ってますね。
遍路ですねー
でも、遍路はちゃんと終わって、家に帰って天下国家の為にも仕事してくださいね。
文章 店長・シッタカブッダ、お四国ゲストハウスメンバーズ